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フクロウ、初めて飛来

 今日で 1 月が終わる。だんだん日が長くなってきた。 1 週間前の札幌は全市的に記録的な大雪。翌日、屋根からの落雪が完全に窓を塞ぎ、玄関前の積雪は生活に不可欠な各種の駐車を拒む。交通機関は止まり、歯科医からは病院にたどり着けないと診察日の変更を求めてくる。とにかくこの雪を何とかしないことには昭子をデイサービスに送り出すこともできない。そこで一念発起、朝から夕方まで一日がかりで、ママさんダンプで森に雪を運んだ。それが嘘だったように、以降の天気は寒さこそ厳しいが日差しは絶えない。そんな昨日、嬉しいことに大型のフクロウがバードテーブルに初めて飛来した。羽角のない丸顔でのぞき込むようにこちらを向いてじっとしていた。モノの本によれば「ボロ着て奉公」と鳴くそうだから、なんともわが家に似つかわしい鳥だ。それにしても今年のわが家のバードテーブルは嬉しい異変が続く。常駐のカラ類やシメ・ヒヨドリ・スズメ、すでに到着している渡りのツグミなどは別にして、カケスはほぼ毎日飛来、エゾリスも週に一度はやってくる。クマゲラは今月だけで 4 度も見ている。これにアトリやレンジャクが加わったときは赤飯を炊こう。  

世界と日本の軍事力比較

  国際比較記事→米国で軍事力の評価を専門とするメディア「グローバルファイアパワー( GFP )」は 27 日、「 2026 軍事力ランキング」を発表し、日本が 145 カ国中 7 位にランク付けされました。昨年の 8 位から一つ順位を上げました。日本が世界有数の軍事大国となっていることが示されています。ランキングは陸・海・空軍を通じた通常戦力によって戦う能力に基き、兵士の数や武器などの兵力、資源、軍事費、地理を評価。核兵器は除外しています。 1 位は米国で、以下ロシア、中国、インド、韓国、フランスと続いています。日本は敵艦艇の攻撃や情報収集などを行う潜水艦の総数で 6 位、艦隊の護衛や敵艦艇の撃破を行う駆逐艦数で 3 位、軍事への支出額で 9 位など、総合的に戦力レベルが上がっていると評価しています。また発展力があり、最高水準の軍需産業の基盤があり、必要に応じ、戦場で使う兵器などをより多く国内で製造できるようになっていると指摘しています。高市早苗政権は、 26 年度中に「安保 3 文書」を改定し敵基地攻撃を行う長射程ミサイルを全国に大量配備するなど、歯止め無き大軍拡に突き進んでいます。(しんぶん赤旗 1 月 29 日付) *       *   * インターネットから関連情報( 2026 年 1 月 10 日から)→スウェーデンに本部があるストックホルム国際平和研究所( SIPR )がこのほど公表した 2024 年度の世界の軍事支出調査によると、日本の軍事支出は前年比 21 %増の 553 億ドル( 8 兆 3700 億円)で、前年と変わらず世界 10 位の水準だった。(中略)日本の軍事支出は、 1988 年には3兆6700億円だったが、 90 年に4兆円台に突入し、 90 年代を通して増加傾向を続けた。 2000 年代以降はおおむね 5 兆円前後で推移。 23 年に初めて 6 兆円を突破したが、 24 年には 8 兆円台に急増した。(中略)上位 10 カ国は 9970 億ドルの米国を筆頭に、推定 3140 億ドルの中国、推定 1490 億ドルのロシアと続き、以下、ドイツ、インド、英国、サウジアラビア、ウクライナ、フランス、日本の順。(中略)世界の GDP に占める軍事支出の割合は、 24 年は 2.5 %。トップの米...

わが家にも霊感商法の壺

 わが家には重さ 10 ㌔、高さ 40 ㎝の大型の壺がある。コトのいわれは迂遠になる。父方・母方ともわが家のルーツは熊本県。山鹿市近くの山間の寒村。父方の祖先は刀工を営んでいたが明治以降は農に転じた。 1899 年(明治 32 年)、母方一家が北海道に移住したとき、私の祖父も単身母方一家に同行。その後に祖母と結婚した。ここから北海道の神原家ははじまるのだが、その後まもなく親と弟も来道したため、熊本県の親戚との交流は次第に途絶えていった。時が流れて 1970 年代、その熊本から突然親戚の女性が訪ねてきた。かつて熊本で暮らした人々は全員が他界していたが、なつかしさのあまり親戚勢はみな彼女を歓待した。滞在中、彼女はもっぱら「幸せをよぶ壺」のいわれを力説し、この大理石の壺の購入を懸命に勧めたという。壺の効用の真偽のほどはともかく、親戚勢は来客の遠路の労をねぎらって頼みを受け入れ、何人かが1つにつき 50 万円の大枚をはたいて購入した。以上は母から聞いた話である。その 1 つがまわりまわっていまわが家にある。日本中に深刻な害悪をまき散らしたかの統一教会の霊感商法の壺だ。いま傘立てにしているが、選挙後に処分する。

7条解散は政治劣化の元凶

 高市首相は衆議院を解散した。憲法7条の天皇の国事行為にもとづく、いわゆる「 7 条解散」とされる。巷間、大義なき選挙とか個利個略の選挙などと疑念が呈されるが、そもそも 7 条解散とはそういうものだ。ありもしない首相の「専権事項」という解散権をでっちあげ、それを天皇の国事行為と結びつけて正当化した、この虚構の憲法解釈によって、首相は個人的な判断でいつでも解散できる。だから大義はどうあれ常に首相にとって都合のよい解散になることは目に見えている。憲法にいう総選挙は、国会が内閣不信任議決したとき総辞職せずに解散を選択した場合(第 69 条)と衆議院議員が4年の任期を終えたとき(第 45 条)の 2 種だけだ。そもそも「国政に関する権能を有しない」(第4条)天皇が「衆議院を解散する」(第7条)ことはありえないから、天皇の国事行為による解散とは上記 2 種の総選挙を行なうに際しての形式的・儀礼的な行為にすぎないことは文理上明白だ。その意味で 7 条解散は憲法違反と思うのだが、最高裁はいわゆる統治行為論によって合憲性について判断を避け、首相の指名権をもつ国会も異議を唱えない。一体いつまでこの悪慣行は続くのか。 *       *   *  戦後 80 年、現行憲法下で 27 回衆議院選挙が行なわれた。うち任期満了の総選挙はたった 1 度だけで 26 回は解散によるもの。そのうちなんと 21 回は 7 条解散だからあらためて驚く。私は 7 条解散は今日の政治劣化をもたらした根本原因の一つだと思っている。最大の弊害は選挙が多いことだ。選挙にはカネがかかる。その選挙が多くなれば、政治とカネの問題が起こることは必然だ。首相が 4 年の任期途中で議員の首を切ることはもっと罪深い。これは議員の政治家としての資質を著しく劣化させる。「常在戦場」の心理状態に追い込まれた議員は、 思想・理論・政策を深く学んで政治家として成長していく気概や時間のゆとりを失う。こうして知的訓練の乏しい政治家が増えれば当然政治は劣化し、その主要な関心事は目先の問題に対する対症療法、ポピュリズム、官僚依存に流されていく。総じて世界で類例のない巨額債務の惰性的累積は、劣化しきった今日の政治を象徴する日本没落の巨塔といって過言ではない。 7 条解散は日本の政治を随所で深く蝕んでいる。国会...

寒中お見舞い申し上げます

 年賀状をくださったみなさんにお礼申し上げます。私は年賀状から寒中お見舞い状に切り替えたことは過日ブログに書きましたが、このブログを読んでくださっているみなさんに対してもご健勝を祈念して同じ文面の寒中お見舞状を差し上げたいと存じます。以下→。   ● 去年 3 月から「神原勝のブログー下山の路傍にて」をはじめました。季節の移ろいに感じて去来する、よしなしごとを 1 回 400 字ていどと決めて続けています。人生の山を下り切るまでのわずかな時間をボケと闘って過ごしたい一念からです。思い出されたとき安否確認のつもりで開いてみてください。畑はもうしばらく続けます。どうかお元気でお過ごしを!(勝) https://kanbaramasaru.blogspot.com ● 脳内出血から 26 年、杖と車椅子の生活で家事はほとんどできません。その分、夫と息子の料理の腕があがりました。 9 月、デイ・サービスでお習字の展覧会があり努力賞をいただきました。利き手ではない左手お習字は私一人。その努力だそうです。 12 月は感謝祭。私の余興の出し物はアメリカの絵本『月夜のみみずく』の読み聞かせ。幸い好評でした。(昭子)

自治の誇りと比較の目

  毎年 2 月 1 日号の「福島町議会だより」に 1 頁、私の目から見た本町議会について住民のみなさんに読んでほしいと思うエッセイを書いている。これには理由がある。福島町議会は改革を長年継続していて、優れた議会運営の仕組みのもとで活発に政策活動を行ない、議会の政策意思をしっかりまとめて行政と向き合う先進議会であることは、全国的にも高い評価が与えられている。けれどもこれは他の議会と比較していえることで、自分の議会だけを見ている住民の目には当たり前の日常の風景としてしか映らない。議会もまたそれが先進的な営為だとわかっていながら、内容を詳しく情報公開しても、評価については遠慮がちあるいは控え目になる。せっかくの優れた営為なのになんとももったいない。地方自治とは地域への誇りなくして成り立たないものだし、その誇りのなかにはわが町わが議会の力量もふくまれる。そうだとすれば、比較の目をもつ第三者が議会の姿を正当に評価して住民に情報提供することにはそれなりの意義があると思う。長年にわたり付き合いの深い福島町議会だけに、 1500 字の短いエッセイの執筆とはいえ、責任ゆえの緊張感が強いられる。

今期最低の-12度を記録

  年が明けてはや 1 週間、冬の普通の生活が戻ってきた。朝 4 時ころ起床してコーヒーをいれる。これを飲みながら、妻が寝る前にテーブルに並べた伝言札を見て朝食の準備。ホウレンソウの胡麻和えとかニンジンの味噌炒めなどを済ませてブログを書く。ここまで1時間半で全部終わる。それから外に出る。この時間帯には、隣人たちも除雪作業に余念がない。これにはそれなりの理由がある。早起きの老人が早朝から除雪でガサガサ音を立てては若い人たちの安眠妨害になると町内会からお達しがあって以降のことだ。まわりは老人ばかりなのにみなこれにしたがっている? 妻の車出勤のため車庫前除雪を日課とする退職老人、ゴミステーションや消火栓が埋まらぬよう気を配る老人。私は玄関前に 2 台駐車できるよう、また緊急時の救急車も想定して除雪に励む老人。休み休みの何気ない立ち話からみんなに共通の関心事が見えてくる。市が費用負担の重さなどを理由に見直しているパートナーシップ事業 (住民と費用を折半した排雪事業) はどうなるか。体力が衰えていつまでショベルが握れ、ママさんダンプが押せるだろうか。あいの里は昨日マイナス 12 度を記録した。

あの本を読んでいたら

 息子手製のケーキに舌鼓を打ちながら家族で 3 時のおやつ。食べ物にちなんでローラ・インガルス・ワイルダーが話題に。彼女の著作は 1950 年代から多数翻訳され、わが家でも昭子がそろえて全員の愛読書になった。私は 1970 年代の半ばに『農村と少年』を読んで、もし少年時代に出会っていたら、人生は大きく変わっていたかもしれない…と思うほど深く感動した。ローラがアルマンゾ少年の目線で描いた 19 世紀末の北米の農村は、私が子どものころの、機械化する以前の北海道の農村と酷似していた。家畜を飼って馬を馴らし、羊の毛を紡いで衣類を編み、イタヤカエデから甘味を得、ヒッコリで橇をつくる。そこには家族が役割を分担して農に勤しむ、生気みなぎる世界が描かれていた。プラオやハローなどの農具の呼称も同じだったから、遠い世界の話ではなく、唯一違いがあった食生活の豊かさをふくめて、すぐにでもアルマンゾの農の世界にたどり着ける思いを抱いただろう。私には高校進学をやめて農業を継ごうと真剣に考えた時期があった。もしこのとき、ローラの本に出合っていたらどうなったか…。ケーキを味わい若き日の儚い想いが脳裏によみがえった。

「永遠の戦後」として

  道新の志子田徹論説副主幹の健筆にはいつも感心するが、年末の論説「戦後 80 年、その先へ」もまたしかり。昨年 10 月、高市首相が「来年は昭和 100 年」と発言したときから、架空の元号表記を用いる意図に不気味さを感じた。この問題はのちに論壇でも物議をかもすが、志子田さんは、高市首相が「戦後 80 年」ではなく「昭和 100 年」といったのは、国民に定着した戦後的価値から目をそらすねらいがあるという識者の見解に同調しつつ、警鐘を乱打する。いわく「戦争の惨禍を二度と繰り返したくない。この強い願いが戦後の原点であり、だからこそ平和が 80 年の基層をなしてきた。『戦後』を打ち切ろうとする主張は、決して受け入れるわけにはいかない」「戦後の否定は明らかに改憲派の主張」「来年は昭和 100 周年ではなく憲法公布 80 周年を祝う年だ」。全面賛同。私は、地方自治が国民主権の日常的活性化のための基礎と信じて自治体学を講じ行動してきた、これも憲法による地方自治の保障があってのこと。その意味で「戦後」という表現は、憲法・平和・自治という普遍価値と同義、あるいはそれらの別称・総称であった。今後も「永遠の戦後」として用いたい。

M・ウェーバーからの宿題

  新年を迎えたが、高齢ゆえに予期せぬ問題の発生は想定しつつも、今年もまた去年と変わらぬ生活をくり返すだろう。むかし高校生のとき三越百貨店の正面にあった富貴堂という書店で世界史の先生に偶然出会って、先生が買ったばかりの M ・ウェーバーの『職業としての学問』を貸してくれて読んだことがある。難しくて深くは読みとれなかったが、衝撃を受けた個所があった。古代の農夫は人生に飽いて死んでいくが近代の知識人は厭うて死ぬことはあっても、飽いて死ぬことはない、という記述である。一人の人間の生涯を通して新しいことは起こらない変化の乏しい古代、年寄りは全部やりつくして、最後はそのくり返しに飽きて死んでいく。けれども変化の激しい時代に生きる近代以降の知識人はそうはいかないという指摘である。では普通の人間であっても知識人たる現代の人間はいかに生きるべきか。そのことを強烈に問いかけたメッセージだった。年末の書斎の掃除で書架の奥にあったこの本に偶然再会して、人生がもうすぐ終わるいまになっても宿題が少しも解けていない自分を痛感して新年を迎えた。多分答えは「終わりなき戦いを続けよ」ということなのであろう。