堀元知事、再び熱く語る
今年3月5日の堀達也元知事の講演のことはブログに書いたが、11月20日に再び元気な姿を拝見してきた。「放談『北海道を語る』」と題した堀講演会。メインのテーマは「北海道新幹線」であったが、主催者の要望も受けとめて半分は泊原発問題にも言及された。どちらも堀知事時代の道政と深いかかわりがある。前者については北海道新幹線の札幌延伸の遅れを懸念され、推進する政治力の不足を嘆かれた。後者については泊3号機を容認した苦渋の選択について話された。1990年代末は地球温暖化対策としてエネルギー政策を全般的に見直す風潮が国内外で強まった。原発に対する国民意識の変化、自然エネルギーへの期待の高まり、電力売買の自由化の開始など、エネルギー情勢は大きく変化しようとしていた。そのような情勢だったから3号機稼働をめぐって道民は大きな不安を抱いていた。そうした空気を読んで私も北大法学部の同僚有志と「泊原発モラトリアムに関する緊急アピール」を行ない、流動的な状況を見極める必要から3号機同意はしばらく思いとどまるよう知事に申し入れた(全文は「北海道自治研究」北海道地方自治研究所2000年5月号参照)。
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堀さんは結果として3号機に同意した。だが、諾々と同意したわけでなく、2つの条例を制定して、原発問題に向きあう北海道の精神を喚起したのである。原発を「過渡的エネルギー」と位置づけた(したがって将来は脱原発社会になる)、いわゆる「省エネ・新エネ条例」(2001年)と、道外からの核のゴミ(特定放射性廃棄物)の持ち込みの拒否を宣言した条例(2000年)がそれで、この日も堀さんは制定当時の熱い想いを話された。堀さんはきっとこの2つの条例の精神をふまえて、関係者がしっかり知恵を絞れば、泊3号機の再稼働問題と核ゴミの最終処分地選定問題は新たな展望が開けると確信しているに違いない。私もその想いを強くした。仮に道が3号機の再稼働を容認するなら、最低限廃炉時期の明確化を条件にして脱原発への確かな道筋をつけるべきだろう。最終処分も条例の考えを発展させて、外からの持ち込みではない、いわゆる域内処理(各供給主体のサービスエリア)の原則に立脚した処分方法を国に提案すれば新たな道が開ける。堀さんの話は単なる回顧談ではない。いまへの熱い想いがそうさせるのだろう。ならば、拝聴した私たちも何かを考えねばなるまい。
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