米という字は八十八と書く

 暖房が欲しい季節になり農作業も終わりに近づいた。まだ食べられそうなインゲン豆を探しながら、祖母の言葉を思い出す。幼きころ祖母は「コメ(米)という字は八十八」が口癖だった。八十八もの多くの手間をかけて育てたコメだから一粒たりとも無駄にはするなという教えだ。文盲の祖母がいうのだから昔の農民が長く受けついできた教訓だったのだろう。父母もそれを受けついで私たち子どもをシツケた。ご飯茶碗に一粒のコメを食べ残しても厳しく戒められた。私が現在やっている家庭菜園は小規模だから機械や化学肥料には一切頼らない。だから何をつくるにもけっこうな体力と手作業を要する。作物にかぎったことではないが、手間をかければそれだけ収穫物が愛しくなって無駄にはできなくなる。ところが2年前に胃を全摘手術してからは時々食卓の料理を食べ残すようになった。家族は「無理をしないで」といって気遣ってくれるが、私の心理的な抵抗感は半端でない。そのたびにもう70年以上も前の祖母の「コメは八十八」を思い出すのである。いい対処法はなかなか見つからない。さしあたっては丹念に畑に戻して堆肥にすることでお茶を濁している。

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