川村喜芳さんを偲ぶ会・献杯の辞
2025年6月1日 神原 勝
(本稿は、「川村さんを偲ぶ会」における献杯のスピーチを文字化したものです。本ブログのラベル「移ろう季節」にも当日の模様について関連記事があります。)
川村喜芳さんを偲ぶ会・献杯の辞
私たちが敬愛してやまない川村喜芳さんが1月6日に亡くなられて早や5ヵ月が過ぎ去りました。痛恨の想いはまだとても癒されませんが、本日、川村さんゆかりの者が参集して、このような偲ぶ会を開催することができましたことを心に深く感じ入っております。
森啓さんとご川村さんの長男・新介さんから心に染み入るメッセージをいただき、これらを掲載した「しおり」をみなさんの手元に配布させていただきましたが、これをふくめて、本日に至る準備作業は、発起人の小山裕さん、今川かおるさん、嶋田浩彦さんが担ってくださいました。
私もその一人に加えていただきましたが、本日の参加者のなかで最長老であることから献杯の音頭とりの役割がまわってきました。僭越ながらお引き受けいたしましたので、発声に先立ちまして一言スピーチさせていただきます。
私が川村さんに初めてお会いしたのは1989年、川村さんが道職員研修所長になられ、また私が北大に赴任した1年後のことでした。私は18歳から北海道を離れていますので、北海道の地域や自治の事情を理解しない新参の学者が、あれこれもっともらしく発言するのはあるべき姿ではないと自分を戒めて、1年間は大学の外での発言や行動は差し控えていました。
その1年が明けて最初にお引き受けしたのが川村さんが所長を務めておられ道職員研修所の講義でした。「戦後自治の展開」を私なりに整理して解説する内容でした。講義が終われば普通はそこで帰宅するのですが、所長室にお招きいただき、初めてお会いしたのです。
東京におりましたころ、東京都、神奈川県、埼玉県などの職員研修にも行きましたがこのようなことはありませんでした。しかももっと驚いたことは、川村さんは所長として、職務上の儀礼として私を所長室に呼んだのではなかったということです。
所長室に入ると互いの挨拶もそこそこに、講義の内容が話題になりました。私の講義はプラス・マイナスの両面から戦後の自治制度を評価するものでしたが、その一部始終を自室で聴いてくださった川村さんは、その評価のバランスに共感してくださり、私たちは気投合してススキノの居酒屋さんに場を移して続きをやりました。
このとき私は、川村さんが思想派、理論派の人だとわかりました。後に行動派がこれに加わりますが、この日から川村さんとのお付き合いがはじまったのです。私の人生にきわめて大きな意味をもつ画期的な出会いで、この偶然は町村会常務理事になられてから必然に変わっていきます。
今日お集りのみなさんも、現・元をふくめて、町村会職員、市町村職員、道職員、町長、道議会議員、国会議員、学者・研究者と、多士済々です。それぞれの方は川村さんとの関係を抜きにしては自分の来歴や現在を語れないほどの深い関係を築かれていると察します。
そして川村さんとの個人的な関係にとどまらず、民主政治と地方自治を重んた価値観を共有する市民同士としての水平的な関係も深めてきました。そうした意味で私は、川村さんを中心に、あるいは川村さんあっての人々の存在状態を「川村ワールド」と表現してきました。
「しおり」にも書かれていますように、川村さんが構想し、実現に尽力された事柄とそこで育てられ、知力・活力をえられた人々は、町村会の内と外に大きな広がりをもっています。北海道町村会の改革は「全国の町村会のモデル」とされ、地方自治土曜講は「北海道の新たな文化」とも評されました。
ご長男のメッセージによれば、川村さんは旅立たたれる間際まで「土曜講座」を口ずさんでおられたそうです。川村さんはきっとご自分が情熱を注いだ数々の事柄とともに深い共感のもとで一緒に情熱を注いだ私たちにも最後まで思いを馳せてくださったのだと思います。
川村さんがご活躍された時期はまさに分権改革期でした。分権改革は「やってくるものではなく闘いとるもの」といわれました。では北海道はどんな闘いをしたのか。私は胸を張って「川村ワールド」が醸し出した数々の営為をあげることができます。
ニセコ町から発した自治基本条例、少し遅れて栗山町からはじまった議会基本条例の試みは、自治分権時代の到来を強く意識した、自治体自らの自律規範づくりですが、いまや全国化したこれらの自治文化も、もとをただせば「川村ワールド」の人々から発しています。
このような市町村レベルの躍動があったからこそ、それが支えとなって、道政も堀道政の時代に自治分権時代における「北海道地方政府の確立」をめざして道政改革を推進することができ、他府県からも「新しい府県政のモデル」と評される成果をあげることができたといえます。
広い視野で見たとき、「川村さん」と「川村ワールド」の営為は、とくに2000年前後の時期に、北海道を「燃える北海道」にした原動力だったと私は確信しています。そしてその精神はさまざまな場とカタチで現在も生き続けています。
後世の人たちが北海道自治史を書くとき、この時期のヒトとコトをどのように批評するかわかりませんが、川村喜芳さんという、突出した情熱・理論・行動そして思いやりの人とご一緒して、自らの人生を豊かにすることができたことに心から感謝したいと思います。
川村さんにあらためて敬意を表しつつご冥福をお祈りし、あわせてご遺族のみなさまのご健勝を祈念して、盃をさしたいと思います。ご唱和お願いいたします。献杯
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