遠くにありて行けぬもの
早朝、遠くからJR札沼線(学園都市線)の汽笛が聞こえてきた。5年前に札幌・医療大学間を残して以北は廃線になった。私はその中間地点の村で生まれ育った。20歳のころだった。1912年(大正元年)に村の人々が敷設を求める運動をはじめ、1935年(昭和10年)に全線開通するまでの経緯を1949年発行の『浦臼村史』で知った。石狩川を渡船して左岸に運ぶ農作物出荷の難渋を解消したい村人の強い思いが実ったと記してあった。私の記憶に一番古く残る札沼線は3歳のとき。戦争で撤収されたレールを戦後再敷設する工事の槌音を姉の背で聞いた。物心ついてから離村するまで「鉄道なくば生活なし」といえるほど鉄道は生活と密接。記憶に残る村での生活の多くのことが汽車や駅のたたずまいと二重写しになる。家族の個々人が腕時計をもてない時代、汽車の通過や汽笛が時計代わりをしてくれた。過日、いまだ放置されたままのレールをまたぐ機会があった。赤さびて左右から迫ってきた木々に覆われている。廃線までは「故郷は遠くにありて想うもの」といえたが、廃線後は「故郷は遠くにありて行けぬもの」に変化した。心のインフラまた消えた。ただの感傷か? 開花→ヒメゼンテイカ(90)、カクテル(薔薇91)
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