畏友・西科純の珠玉の一頁
自治体職員のあるべき姿について過去に自治体改革の観点からさまざまな議論が行なわれてきたが、本格化したのは1980年代の半ば以降だ。自治体運営に関係する主体は4者で市民・長・職員・議員。市民は政治上の主体である主権者、次いで制度上の主体として仕事をするのが長、職員、議員。各主体は歴史上、順次、自己変革に遭遇してきた。最初は市民。1970年代の高度成長期、工業化・都市化の急激な進展のなかで都市・公害問題が深刻化し、全国的に自主・自立の市民運動が噴出。その矛先が自治体に向き、「市民による自治体の発見」といわれた。次いで長。選挙で選ばれる長はこの市民の変化を無視できない。そこから市民と長の交流がはじまり、市民参加をはじめとして今日に通じる自治体改革がはじまった。けれども長が市民の意向を受けとめても、職員に政策を遂行する能力がなければ問題は解決できない。そこで1980年代の半ば職員の政策・行政能力の開発が大きな課題になった。一番遅れたのは議員・議会で2000年代になってようやく改革がはじまった。こうして各主体は歴史のなかで変革の契機をつかんできた。終わりではなくそれぞれの改革の起点である。
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この3月末に芽室町を定年退職して、4月から白老町国保病院経営監として再出発した西科純さんが、「北海道自治研究」4月号に「住民参加と自治・分権を理念に議会改革から病院経営改革への挑戦を続ける」というエッセーを書いた。たった1頁だが深い内容に感動した。自治体関係者にはぜひ一読を勧めたい。自治体職員像はいろいろ語られる。曰、長や議員は「代表」だが、職員は市民に代わって仕事をする「代行」だ。長は職員の「制度上の任命権者」だが市民は「政治上の任命権者」。長は短期で辞める「消耗品」だが、職員は長期勤務する「備品」だから、その能力の洗練が自治体の力量をきめる。表現は区々だが、どれも職員に高い政策能力と行政技術を期待する。エッセーの感想を少し。西科さんが役場の内外を問わず、多彩な活動に取り組んで大きな成果をあげたのは、「市民とともに」ではなく「市民として」仕事をしたためではないか。「市民とともに」とは市民を客体化したいい方だが、「市民として」は、自らも同一権利主体の一市民という認識から発想して仕事をする精神をいう。それが結果として真に市民のための成果を生む。西科さんはその精神を貫いている。開花→タンポポ(39)、ニラバナ(40)、ヒメリュウキンカ(41)、キャットニップ(42)
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