森はなぜ人の心を癒すのか

 むかし「森はなぜ人の心を癒すのか」と題して市民科学研究機構を主宰していた重野廣志さんの雑誌「辺境」に拙いエッセーを投稿していたことを思い出した。以下再掲。[1999415]何百万年の昔、人類はアフリカの森から平原へと旅立った。この悠久の歴史のなかで文明生活は1%にも満たない。だから長い森の生活の記憶はいまもヒトのDNAの奥深くに刻み込まれているはずだ。森に入れば心が癒されるのは、そのDNAのなせるわざに違いない。森のDNAは一生のうち2度頭をもたげる。文明生活の重しに抑圧されない幼少期、森のDNAは子どもを神秘と驚異の世界に誘う。グリム童話やアンデルセン童話の4割に森や木が登場するというのもうなずける。仕事に生活に忙しく明け暮れる成年期、森のDNAは一時的に後退させられるが、加齢が進んで覆い隠していた夾雑物がとれてくると森の支配力は再び戻ってくる。DNAからみれば、幼年期と高年期のこの森願望こそが人間の自然な姿ではないか。森のDNAの発露にもっと自由を与えれば、人間の精神生活は豊かになる。森との触れ合いに人間の生き方と知恵が試されている。若葉が萌える春の妄想。

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同年、子どもの日にも日記に「衣をはぎとった生身の姿」と題してこんなことを綴っていた。進歩がないというか、思いはいまも変わらない。「199955日の日記」→子どもの日。寝転んで、むかし買って積んだままにしていた河合雅雄(生態学者)の『子どもと自然』(岩波新書)を読んだ。「哺乳類中、目として森林の中で樹上生活を確保したのは霊長類だけである。つまり、霊長類は緑の中に適応しきった動物なのである。われわれが緑を求め、緑がない所ではこころが落ち着かずいらいらし、緑の中でこそはじめて安心感に浸れるのは、遠い祖先から受けついできた系統発生的な適応感覚によるものである」。河合はこれを「内なる自然」という。そして「人類は多様な文化的衣装をまとい、人間の本性を覆いかくしてしまった。人間とは何か、という問題の解明が難しいのはそのためである」とのべ、次いでこの「衣装をはぎとった生身の姿は、どうすれば見ることができるか。」と自問して、文明にまだ汚されていない発達初期の幼児とヒトの生物的基礎をなすサルの分析に矛先を向けていく。本書を読んで前に「辺境」に書いた「森のDNA」を想起した。私の妄想はあながち的外れではなかったようだ。「子どもの日」がくれた素敵なプレゼント、と思うことにしよう。

 

 

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