目線の低さがつくる自然観
一雨ごとに庭と森の緑が濃さを増してきた。以前、石狩に住んでいた野焼き陶芸家、猪風来さんのことを書いたことがあるが、もう一話。彼は自分の道を究めるには縄文人の心になりきることが大切だと説いていた。縄文人の心とは縄文人の自然観のことで、要は縄文人の自然を見る目線の高さが大事なのだという。そこで彼は鬱蒼とした(実はほったらかした?)敷地に、年数をかけてヨシなどの材料を集め竪穴式住居をすべて手製で再現した。その掘っ立て小屋の土の床は外の地面より1㍍以上は低く、ここから外を見れば目の高さがちょうど地面のところにくる。この発想のユニークさに感心しながら、いわれるままに外を眺めれば、別世界が見えてくる。緑の量は圧倒的、木々は大きく高く、いっぱいに開いた掌で私たちを包み込むように迫ってくる。背丈の低い草花さえ上から見るのとは違ってくる。猪風来さんは、縄文人の自然に対する畏敬の念はこの目線の低さからくるという。そのとき思った。高い目線が「鳥観」なら、低い目線の「虫観」という言葉があってもいいと。それはともかくとして、目線の高さで見える世界が違ってくるのは自然だけではない。人間関係も政治の世界も同じだ。全体を俯瞰する高い目線も必要だが、その場合でも低い目線を積みあげた高い目線であってほしい。
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