「50×60=3000」の哲学
道北にふれながら下川町を語らないでは叱られそう。けれども、下川町のまちづくりはボリュームがありすぎて、その歴史、精神はもとより優れた施策の内容をこのブログではとても書けない。出会いの一コマだけ記そう。1994年、新聞の一段記事を見て同町の森づくりに興味を抱いて訪問したのが最初だった。快く迎えてくれた原田四郎町長は、営林署の統合、銅山の閉山、JRの廃線そして人口減少と、「下川には過疎化の材料が全部ある」と、町のおかれた厳しい現状を話されたあと、森とともに歩んできた町の歴史に思いを寄せ、今後も森の町として生きる覚悟を決めていると熱く語った。「下川は毎年50ha分の樹木を伐採するがただちに植林して60年育てる。これを循環すれば環境破壊は起こらない。そのために国有林の買収をふくめて3000haの町有林体制を築く」とも。さらに帰り際、「橋や建物はつくった瞬間から朽ちはじめるが、木は植えた瞬間から価値を増す」と念を押された。それ以来私はこの「50×60=3000」の森づくり哲学に魅せられて、足繁く下川町に通った。下川町の人たちは「森林」と書いて「もり」と読む。原田町長が「森林は光り輝く」と揮ごうした顕彰碑が下川町の春の森の芽吹きとともに脳裏に浮かんでくる。クロッカス(3)。
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少し書き足りないので追加したい。原田後の下川町のまちづくりは、原田精神を引き継いだ安斎保町長のもと、山下邦廣さん率いる森林組合の多角的な事業展開と、政策マン・春日隆司さんらが繰り出す役場の諸施策との絶妙なコラボが功を奏して、2003年だったと思うが、審査の厳しい世界基準のFSC(森林管理協議会)の森林認証をいち早く取得、下川町のグレードをいっそう高めた。こうして市町村有林をもつ約40の道内市町村が下川町の呼びかけで研究会を組織し、カーボンオフセットの導入による吸収源としての森林研究、市場メカニズムによる排出量取引の検討などをはじめた。気候変動への対応から森林の再評価を迫られた国も下川町の先駆的な営為から学ぶために足を運んでいた。神々は細部に宿りたまう。まさしく小さな町が国を動かしはじめたのである。遊び心だが酒席で話がはずみ、自分の消費する酸素くらいは下川町に森を買ってまかなうと豪語して分けてもらったこともある。自治基本条例や議会基本条例の制定にも協力させてもらった。友人がたくさんできた。素敵な町には、よい人、よい風景、よい歴史、よい物語がある。加齢ゆえ近年はすっかり足が遠のいたが、田村泰司町長のもと、下川町のますますの発展を祈念したい。
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